製品ごとの原価が出せていなくても、値上げをどの取引から切り出すか、当たりはつけられます。決算書と売上明細を、顧客別×製品別に並べ替えるところから始めます。

材料費も人件費も上がっている。値上げしなければ続かない。それは分かっていても、どの顧客のどの製品から切り出すかとなると、決められなくなります。売上の一番大きい取引先とは、関係を壊したくない。——その優先順位の決め方を、実際の支援の進め方に沿って書きます。

出典:中小企業庁「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査の結果」2026年6月26日公表 / 中小機構「儲かる経営キヅク君

交渉は9割で行われている。通ったのは半分

中小企業庁が2026年6月26日に公表した「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査」では、回答した69,625社のうち、価格交渉が行われた割合は90.7%でした。

一方で、総合的な価格転嫁率は54.2%。前回調査から約1ポイントの増加にとどまっています。コスト要素別では、原材料費が55.7%、労務費が50.0%、エネルギーコストが48.9%でした。

交渉のテーブルには9割が着いている。それでも通るのは、コスト上昇分の半分です。残りは自社で吸収していることになります。

顧客別×製品別は王道で、無料のツールもある

何をすればよいかは、はっきりしています。顧客別×製品別に損益を見る。 管理会計の王道で、目新しさはありません。

この形にする理由は、二つあります。簡単な例で見ます。

表:顧客別×製品別に並べた例(粗利率)
顧客A 顧客B その他の顧客 製品別の平均
主力製品X 30.0% 40.0% 35.0% 35.0%
追加工 45.0% 45.0%
顧客別の平均 30.0% 40.0% 40.0%

一つ目は、同じ製品でも顧客によって利益率が変わることです。主力製品Xは顧客Aで30.0%、顧客Bで40.0%。単価はロット数や取引量、力関係で決まっていて、原価とは別の理屈で動いているからです。製品別の平均35.0%だけを見ていると、この10ポイントの差は溶けて消えます。

二つ目は、収益性の高い領域が浮かぶことです。この例では追加工が45.0%と最も高い。ただし売上の小さい「その他の顧客」に含まれるため、顧客別の平均では40.0%となり、顧客Bと見分けがつきません。掛け合わせた表の中でだけ、はっきり見えます。

守るべき取引と、伸ばせるかもしれない取引。二つを掛け合わせて初めて、その両方が同じ一枚に載ります。

本来は、ここまで見られるのが理想です。 ただし、この粗利率を製品ごとに出そうとすると、原価の配賦が必要になります。そこが次の関門です。

道具も用意されています。中小機構の「儲かる経営キヅク君」は無料で使えるシミュレーションツールで、決算書2期分を入力し、コストを商品・取引先ごとに配分したうえで、目標の利益を確保するための価格とコストを検証できます。

記録するのは、思っている以上に大変

ただし、コストを商品・取引先ごとに配分するには、割り振りの基準になる数字が要ります。

これを日々きちんと記録するのは、簡単な話ではありません。段取り替えのたびに時間を書き留め、材料を計り、製品ごとに紐づける。現場は生産で手一杯です。

しかも、どうやっても製品に直接ひもづかない費用が残ります。工場の電気代、建物の減価償却費、管理監督者の給料。売上高のように既存の数字で割り振ることはできますが、自社に合った基準を決めようとすると、結局さらに現場の実態を把握する必要が出てきます。

だから多くの中小製造業では、製品ごとの原価が出ていません。珍しいことではありません。 ここで「まず原価管理の仕組みを整えましょう」と言うのは正論ですが、整うまで値上げを待つことになります。材料費は待ってくれません。

記録が無いままでも、確認すべき取引は絞れる

私が支援に入るときは、記録が揃うのを待ちません。手元にある資料だけで、まず素早く当たりをつけます。

使うのは、決算書、製造原価報告書(3期分)、売上明細。この3点があれば、配分をしなくても次のことは読み取れます。

この整理には生成AIが使えます。決算書と売上明細のPDFを読み込ませ、上の項目を突き合わせさせる。手作業では時間のかかる整理を、大幅に短縮できます。

ただし扱うのは、決算書と顧客別の売上という、社外に出したくない情報です。利用するAIサービスのデータ取扱条件を確認し、必要に応じて顧客名を伏せて扱います。

そのうえで、任せられる範囲には線があります。

表:生成AIと人の役割分担
生成AI
役割 手元資料を整理し、気になる取引に当たりをつける 元資料との照合、事実と仮説の区別、経営判断
出すもの 「この取引は確認する価値がある」 「この取引から交渉する」
生成AIが手元資料を整理して気になる取引に当たりをつけ、人が事実と仮説を区別して判断し、次のアクションを決めるという役割分担の図
図1:生成AIは論点まで。決めるのは人

生成AIの役どころは、素早く当たりをつけることです。 出すのは論点であって、結論ではありません。製品ごとの原価が無い状態で「この製品は赤字です」と言い切らせてはいけない。データが足りないのに断定が返ってきたら、それは根拠不足です。 たまたま結果が合っていても、支えるものが無い以上、交渉の材料にはできません。

ある金属加工業の会社では、この整理から2つの取引が浮かびました。

表:浮かんだ2つの取引の比較
主力製品 × 最大顧客 追加工 × その他顧客
売上規模 最大 小さい
単価の推移 数年にわたり据え置き
材料の負担 自社で調達 顧客から支給
次に確認すること 製品別原価、仕入価格の推移、見積条件と価格改定の履歴 工数と段取りの実態、受注拡大の余地
打ち手の方向 価格交渉 受注拡大

一つ目は、売上が最も大きい取引先の主力製品です。単価が数年動いていない一方で、自社で調達している材料の仕入価格は上がっていました。製品ごとの原価が無いので採算は断定できません。それでも、売上への影響が大きく単価が長く動いていない以上、最初に確認する価値があります。

二つ目は、社長が注目していなかった追加工です。材料が顧客から支給され、加工そのものに対価を得ている取引でした。作業時間や段取りの実態が分からないため断定はできませんが、材料費を負担していない分、構造が違うことは確かです。

注目すべきは、二つ目が値上げの話ではないことです。 材料を持たずに加工の対価を得ている取引は、伸ばす余地があるかもしれない。社長がこれまで見ていなかったから、伸ばす判断もされていませんでした。守りを固める作業が、攻め手の発見を兼ねたことになります。

絞れてから、そこだけ記録を始める

取引が2つに絞れたら、次は記録です。ここで初めて、何を記録するかを決めます。

主力製品なら、その製品の材料使用量と仕入価格の推移。追加工なら、工数と段取り時間。全ての製品ではなく、この2つについてだけです。

全社の原価管理を整えてから対象を選ぼうとすると、いつまでも始まりません。対象を選んでから、その取引に絞って精度を上げる。かける手間の順序の話です。 キヅク君のステップ②やステップ③は、ここで効いてきます。

原価を下げずに、初年度10%が通った

先ほどの会社では、売上が最も大きい顧客の主力製品を最優先ターゲットに定めました。3年で20%の価格転嫁を目標とし、初年度で10%の引き上げが実現しています。

このとき、原価低減はしていません。工程も材料も変えていない。利益を原価側で作るのではなく、まず見直す取引を絞り、そこから価格交渉に動いたという順序です。

そして見えたのは、値上げの対象だけではありませんでした。収益性が高いにもかかわらず量の小さいセグメントが同時に浮かび、そこは新規で伸ばしていこう、という話になっています。

支援に入って感じるのは、どの取引から切り出すかを決められないことが、一つの壁になっているということです。全部の取引先に一律で頭を下げるのは無理でも、どこから始めるかが決まれば、話は具体的になります。そのために必要なのは、精緻な原価計算ではありません。いま手元にある数字の並べ替えです。

自社の取引を、顧客別×製品別に並べたことはあるでしょうか。一度作ってみると、思っていたのと違う場所に利益があることが少なくありません。

生成AI活用の全体像は、解説記事「製造業の生成AI活用756件を活用マップに重ねて読む」でも紹介しています。